最高裁判所第三小法廷 昭和40年(あ)2483号 決定 1972年7月25日
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人名越亮一、同長谷川柳太郎の上告趣意第一点は、違憲(三一条)をいうが、実質はすべて単なる訴訟法違反の主張に帰し(本件起訴状記載の第六および第一二の詐欺の各事実と、予備的訴因追加申立書掲記の金沢市金銭物品等の寄附募集に関する条例違反または小松市寄附金品取締条例違反の各事実との間には、それぞれ、公訴事実の同一性があるとの原審の判断は正当である。)、同第二点は、事実誤認、単なる法令違反の主張であり(事実審の確定した事実関係の下においては、被告人の本件行為が前記各条例にいわゆる寄附募集にあたると認定したことに所論の違法は認められない。)、同第三点は、単なる訴訟法違反の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。
また、記録を調べても、同法四一一条を適用すべきものとは認められない。
よつて、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官田中二郎、同坂本吉勝の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
裁判官田中二郎の反対意見は、次のとおりである。
一、原審が確定したところによると、本件は、被告人の指示にもとづきその外交員らが、不特定多数人である第一審判示の人々に対し、「盆の法要を営むので、御志をいただきたい」旨述べて、第一審判示の金銭の交付を受けた事実が本件各条例にいう「寄附募集」に該当するものとして、被告人を罰金五、〇〇〇円に処したものである。
本件は、当初、昭和三〇年六月ないし八月に行なわれた行為について、同年九月二〇日詐欺罪で起訴されたところ、その後九年二か月余を経た同三九年一一月二六日に開かれた第一審第五四回公判期日にいたり、検察官から予備的訴因の追加が請求され、これに対し、弁護人らから公訴事実の同一性を害するという理由で異議の申立がされたが、第一審裁判所は、弁護人らの右意見を無視し、また、右予備的訴因の追加を許可する旨の決定をすることなく、同年一二月一二日第五五回の判決公判期日において、本位的訴因である詐欺罪については、被告人に詐欺の犯意を認めるに足りる充分な証拠がないので有罪とは認められないとして、これを斥け、予備的訴因である金沢市および小松市の本件各条例に違反して寄附募集をしたという点を捉えて前示有罪の判断を下しており、原審も、結論において、これを支持しているのである。
二、本件の原判決には種々の問題が包含されているが、当裁判所の多数意見は、上告趣意を排斥し、本件上告を棄却すべきものとしている。しかし、私は、右の多数意見には賛成することができず、結論においても、上告趣意を容れ、原判決を破棄すべきものと考える。
本件における諸論点および多数意見に対し私の賛成しえない理由は、次のとおりである。
(1) 第一の問題は、本件の詐欺の本位的訴因と各条例違反の予備的訴因との間に公訴事実の同一性があるかどうかの点である。詐欺罪は、「人ヲ欺罔シテ財物ヲ騙取」することによつて成立する刑法犯であるのに対し、本件各条例違反は、許可又は届出なくして寄附募集をすることの禁止に違反して寄附募集をすることによりて成立する行政的取締法違反にすぎない。いずれも、結果的に財物を取得するという点において、両者には共通するところがあるとはいえるけれども、単に財物を取得するというだけでは犯罪を構成する事実とはいえず、前者は、「人ヲ欺罔シテ」財物を「騙取」するところに犯罪性が認められるものであるのに対し、後者は、「許可又は届出なくして」「寄附募集」という形式で財物を取得するところに各条例違反が成立するのであつて、両者は、その罪名・罪質を全く異にするのみならず、構成要件的事実の共通性又は類似性を全く欠くものといわなければならない。そうであるとすれば、「本件起訴状の第六および第一二の詐欺の事実と、予備的訴因追加申立書掲記の金沢市金銭物品等の寄附募集に関する条例違反または小松市寄附金品取締条例違反の各事実との間には、それぞれ、公訴事実の同一性がある」旨の原審の判断およびこれを支持する多数意見は、法律の解釈を誤つたものというほかなく、とうてい、これに賛成することができない。
もつとも、公訴事実の同一性の有無の判断については、従来から、見解の分かれるところであるが、かりに、基本的事実同一説の立場に立ち、公訴事実の同一性の範囲を緩やかに解すべきであるとしても、刑訴法三一二条の精神からすれば、訴因の追加又は変更により被告人の防禦に実質的な不利益を生ずるようなことがあつてはならないはずである。ところが、本件第一審においては、九年二か月余の長きにわたり、五三回の公判期日を経ながら、その間、条例違反の点については全く触れるところがなく、第五四回の公判期日にいたり、突如として予備的訴因の追加をさせ、これに対し弁護人らが異議を述べたのにかかわらず刑訴法三一二条にもとづく充分な防禦の機会を与えず、しかも、自ら明示の決定をすることもなく、そのまま、結審し、第五五回の判決公判期日において、右予備的訴因である本件各条例違反について有罪の判決をするにいたつたもので、被告人および弁護人らに対し、実質的に充分な防禦をする権利に不意討ちの打撃を与えたものとして、とうてい、是認することができない。それにもかかわらず、原判決は、公訴事実の同一性を認め、第一審において被告人に予備的訴因に対する陳述を求めるなどただちに次の訴訟手続に進んでいることを理由に、特に異議申立について許否の決定をしていなくても、右異議申立についてはこれを却下し、右予備的訴因追加の請求についてはこれを許可する旨の黙示的な決定があつたものと認められるとして、この点に関する第一審判決を是認している。しかも、弁護人らの異議申立は、証拠調その他裁判長の処分に対してではなく、明らかに検察官の予備的訴因追加の請求に対してされているものと解されるにもかかわず、原審は、被告人側としては、反証の取調、あるいは、その準備のため公判の続行を求め、進んでは必要な期間公判手続の休止を求めることもできるのに、このような方途を取らなかつたとして、弁護人らの所論を排斥しているのである。
しかし、右のような形式的な処理の仕方で果たして実質的に被告人側に充分な防禦の機会を与えたといえるといえるであろうか。また、被告人側を納得させるに足りる手続を踏んだといえるであろうか。刑訴法三一二条は、一方において、検察官に訴因等の追加・変更等を請求する権利を認めるとともに、他方において、被告人の防禦がそれによつて実質的に不利益を蒙ることがないことを期し、その間の調整を図つているのであつて、第一審における本件の処理の仕方は、検察官の請求を偏重し、被告人側に防禦の機会を与えることの必要性を軽視したものというほかなく、被告人側を納得させるに足りる公正な手続を踏んだものとはいいがたい。
右のとおりだとすると、前示両訴因の間に明らかに公訴事実の同一性が認められないのにかかわらず、刑訴法三一二条の規定に違反して本件の予備的訴因の追加請求を許容した第一審判決およびこれを支持した原判決は、本件条例等の解釈を誤り、かつ、訴因の追加・変更に関する訴訟手続法令に違反したものであり、これを破棄なければ著しく正義に反するものといわざるをえない。
(2) 第二の問題は、上告趣意第三点にいう本件各条例違反の罪について公訴時効が完成しているかどうかの点である。本件詐欺の公訴事実と各条例違反の公訴事実との間に同一性が認められるとすれば、詐欺の事実について公訴の提起があつたときは、各条例違反の事実についても、公訴時効が完成しないというのも、たしかに一つの理屈といつてよいであろう。しかし、この点については、私は、さきに述べたように、多数意見と見解を異にし、公訴事実の同一性を否定すべきものと考えるのであつて、この見地からすれば、本件各条例違反の罪については、本件予備的訴因の追加請求のあつた昭和三九年一一月二六日の時点で、すでに公訴時効が完成していたものとみなければならない。しかし、一歩譲つて、かりに、公訴事実の同一性を肯定する見地に立つた場合においても、本件の各条例違反の罪は、本位的訴因たる詐欺の罪と併合罪の関係にあるものではなく、互いに科刑上一罪たる観念的競合の関係に立つものと解するのが相当である。そして、このような科刑上一罪については、各個の犯罪事実につき、それぞれ、独立に時効が進行するものと考えるべきである。けだし、科刑上一罪は、本来は、別罪なのであり、公訴時効は、各罪の客観的な事実状態が基礎となつているものであるからである。その理由づけはともかく、右の考え方は、わが国の学説上通説とされており、また、ドイツにおいても実務・判例上当然視されているところであり、私も、この通説を正当と考える(反対趣旨の判決として、最高裁判所昭和四〇年(あ)第一三一八号同四一年四月二一日第一小法廷判決・刑集二〇巻四号二七五頁があるが、賛成しがたい。)。この見地からいつて、本件各条例違反の罪については、すでに公訴時効が完成しているものとみるべきであつて、これを否定した原判決は、公訴時効に関する規定の解釈を誤つたものというべく、論旨は理由があり、原判決は、この点においても、破棄を免れない。
さらに、一言、附け加えておきたい。かりに、本件詐欺の公訴事実と各条例違反の公訴事実との間に同一性が認められるとしても、そうだからといつて、詐欺罪による起訴があつてから九年二か月余も経過した後になつて予備的訴因の追加を認め、本件各条例違反の罪について公訴時効の完成を否定し、これに有罪の判断を下した第一審判決およびこれを支持した原判決は、ことをきわめて形式的に処理したものというべく、理論上、前叙のような種々の問題を有するのみならず、実際上も、果たして正義の要請に合し、信頼の原則に則つたものといえるかどうか、すこぶる疑わしく、とうてい、われわれの社会常識に合するものとはいいがたいように思われるのである。
(3) 第三の問題は、本件被告人の行為が本件各条例にいう「寄附募集」にあたるか、それとも、取締りの対象から除外されている「喜捨」にあたるかの点である。原審は、両者の区別の要点を、前者は、義務がないのに一定の目的のために対価を与えないで多数人に対し財産上の出捐を促す行為であり、後者は、原則として、「特定の目的を指向しない」出捐者の自発的納金と解すべきであるとし、本件被告人の指示にもとづいてその外交員らが不特定多数の人々に「盆の法要を営むので、御志をいただきたい」旨を述べて第一審判示の金銭の交付を受けた事実は、右の寄附募集にあたると断定している。両者の区別の標準をどこに求めるべきかの点についても問題なしとしないが、かりに、原判決の基本的な考え方に従うとしても、宗教法人たる寺院が、その本堂の建築等一定の目的を定めて相当額の金員等の出捐を求める場合には、条例にいう寄附募集に該当するものと解すべきであろうが、寺院等が祭典・法要等の一時的行事にあたり少額の寄進を求める行為のごときものまでがすべて本件各条例にいう寄附募集に該当するものと解するのは相当ではない。本件で各条例違反として訴因の追加をされた事実は、第一は、一〇〇円(四名)、二〇〇円(一名)、合計六〇〇円、第二は、三〇円(一一名)、四〇円(一名)、五〇円(二名)、一〇〇円(三名)、合計七七〇円の出捐を受けたというにすぎない。この程度の出捐を受けた事実をもつて、本件各条例による取締りの対象とされている特定の目的をもつた「寄附募集」に該当するものとみることが妥当であるかどうかは、すこぶる疑わしく、むしろ、本件事実のごときは、本件各条例により取締りの対象から除外されている「喜捨」にあたるとみるのが相当であると考える。かりに、右の点について解釈上疑問の余地があるとしても、僧侶たる被告人の判示事実の程度の行為は、社会的相当行為として、刑法三五条により、その違法性が阻却されるものと解するのが相当であろう。この点についても、原判決およびこれを支持する多数意見には賛成しがたい。
以上の諸点のいずれについても、本件原判決には納得しがたく、原判決を支持する多数意見には賛成することができない。
裁判官坂本吉勝の反対意見は、次のとおりである。
私は、原判決を破棄すべきものと考える。その理由は、裁判官田中二郎の反対意見中、二、(3)を除き、その余の部分につき、同裁判官の意見と同じである。
(下村三郎 田中二郎 関根小郷 天野武一 坂本吉勝)
弁護人名越亮一、同長谷川柳太郎の上告趣意
第一点 何人も法律の定める手続によらなければその刑罰を科せられないこと憲法第三一条により保障せられた国民の基本的人権である。然るに原審は右を無視して審理判決をなした違法があり破毀されねばならぬと信ずる。
しかもその憲法違反は次の諸点に跨つているのである。
一、第二審判決は控訴趣意第一点(1)の判断として
「然しながら右公判調書によれば原審(第一審を指す)は被告人に対して右予備的訴因に対する陳述を求めるなどたゞちに次の訴訟手続に進んでいることが明らかであつてこのような場合には裁判所が特に異議申立について許否の決定をしなくても右異議申立についてはこれを却下し右予備的訴因追加の請求についてはこれを許可する黙示的決定があつたものと認められるから、原審の右訴訟手続には判決に影響することの明らかな法令違反があるとはいえない。論旨は採用できない。」
との見地より検察官の予備的訴因追加請求に対し、弁護人が異議をのべたる本件につき何等の決定をなさなかつた第一審判決を支持しているのである。
この第二審判決の立場は第一審判決の法令違反を認めながらなお且判決に影響しない法令違反であるというのである。
然しこれはとんでもない謬見である。
抑々予備的訴因の追加ということは被告人にとり極めて重要なる訴訟行為であり、それ故にこそ第一審の弁護人は検察官の予備的訴因追加申立に対し強く異議を申立てたのであるのに拘らず、之に対し第一審は何等の決定もなさなかつたのである。
民事訴訟手続ならいざ知らず、厳格なる訴訟手続の要請される刑事訴訟手続において第二審判決のいうところの「黙示の決定」などという曖昧なる概念が一体許されてよいものであろうか。
このような概念が許されてすべて「黙示の決定」だという遁辞で一切の手続違背が治癒できるものならばそれこそ被告人の人権はどのようにして防禦できるであろうか。
決定がなされてこそ被告人はその決定に違法不当ありと信じたばあい抗告、即時抗告等の訴訟上許された方法によつてその人権擁護するための救済方法を講ずることができる。
ところが「黙示の決定」は形式上決定がないのであるからこれに対し不服申立の方法が絶対にない。
第一審では正に前記の如く不服申立の方法がないまゝに検察官の予備的訴因追加申立書の陳述があつた公判期日に直ちに結審されてしまつた。
「黙示の決定」というような概念を許すと常にこのような不都合を生ずるのである。
刑事訴訟手続の擁護をその主柱の一として構成されておりその人権の擁護は被告人側の異議権、抗告権、上訴権等の行使を通じて担保されるのであり、その行使を全たからしめんがため弁護人制度も亦存すると考えられる。
そこで刑事訴訟手続では、異議権、抗告権、上訴権等を広汎且詳細に認めているのであるが、それを行使するには之に先行する、「決定」がなされることを前提としている点に留意されたい。
「決定」のないものに対して、どのように法律が不服申立の方法を定めていても之を行使する機会がすべて剥奪されてしまうのである。これは極めて恐ろしいことである。
若し万一にも「黙示の決定」という概念が認められて御庁判例となつたばあい、被告人側の異議申立に拘らず、黙示の決定ということで「形式上の決定」なしにどんどん訴訟手続が進められて行く危険性なしと誰が保証し得ようか。
これを阻止するに合法的方法は遂に見出し得ないのである。
故に「黙示の決定」なる概念を容認して第一審の法令違反が判決に影響しないものと判断したる第二審判決は人権軽視の思想に根ざすものと断ずべく何人も法律の定める手続によらなければその刑罰を科せられないと定めた憲法の人権擁護の趣旨に背反すること極めて明瞭であり、遺憾とするものであつて、第二審判決は先づこの点において破毀を免れないものと信ずる。
二、第二審判決は控訴趣意第一点(3)の判断として
「然しながら本件の本位的訴因である起訴状記載の公訴事実第六及第一二と、予備的訴因の第一及び第二とは相互に詐欺罪と金沢市金銭物品等の寄附募集に関する条例違反及び小松市寄附金品取締条例違反として構成要件罪質を異にしているけれども両者は犯罪の日時、場所が同一であり、被告人が受領した金銭の額、交付者、直接右金銭を受領した被告人の外交員及び右外交員が右金銭の交付を受けるために交付者に働きかけた言動も全く同一であり従つて両者は基本たる事実関係において同一であると考えられるから原審が右予備的訴因の追加を認めたのは相当である、論旨は採用できない。」
と論じている。
然しこれこそ公訴事実の何たるかを曲解したものという外はない抑々公訴事実の同一とは或は、対称に対する事実的判断の特徴が基本的部分において相一致するを要するとし、或は事実的判断と法的判断の対象が控訴提起の対象と同一物であることを要するとし、或は対象に対する法的判断がその性質上だいたいにおいて前後相類似するを要するとの論説があるこというまでもないが要するに刑事訴訟法第三一二条の趣旨は訴因の予備的追加等は公訴事実の同一性を害しない限度に制限して刑事被告人の基本的人権を完壁に擁護せんとする法の精神に根ざしていること極めて明瞭である。
そうであるから裁判所の審判の範囲を訴訟手続的且顕在的には「訴因」に限定し、実体的且潜在的には公訴事実に限定して、以て刑事被告人がいわゆる闇打ちをくらうのを極度に防禦しているものと解する。
訴因の予備的追加等という制度は若しこの方法が許されないとすれば検察官の提起した本来の訴因について証明がなければ裁判所は無罪の言渡をせねばならず一旦無罪の言渡をすれば検察官は公訴事実が同一である限り再公訴提起は不可能となることの矛盾を防ぐため設けられた例外的規定であることを再思三考すべきであろう。
従つて苟くも法律の専門家であり国家機関である検察官は刑事被告人を正確に訴追する義務を有するものと解すべきであつて基本的には訴因の追加や変更をしないことが原則であり理想であり、法の精神であると考えられる。極めて例外的に認められるのが訴因の追加変更の制度であつて無暗に理由を附して訴因の追加や変更をされたのでは刑事被告人はたまつたものではない。故に公訴事実の同一性ということは上記論説の何れをとるとに拘らず、刑事被告人の防禦権を実質的に剥奪する如き場合に公訴事実の同一性ありと論断することは実質的に憲法第三一条の精神に反し極めて危険であるといわねばなるまい。
これを本件についてみるに、その本起訴の訴因たる詐欺と予備的訴因たる条例違反とは前記何れの学説を採るとに論なく且判例のいわゆる基本的事実同一説を採るとしても刑事被告人の防禦権を実質的に剥奪する結果になるから右両訴因間に公訴事実の同一性ありと解することは出来ないのである。
要するに本起訴の詐欺の訴因は「実際には集めた金はその大半は被告人等においてその生活費に充てるつもりであつたにも拘らず、これを秘し寄附金名義のもとに金品の交附をうけてこれを詐取した」というにあり、予備的訴因は「金沢市長の許可をうけず又小松市長に届出をせずしてそれぞれ寄附募金をなした」というにあり、全くその基本的事実関係を異にしているのである。
故に被告人並弁護人は第一審の当初からその主張及立証のすべてを詐欺罪の成立を阻却する方向にむかつて一切の防禦方法を尽してきたのである。
仮に行政罰に属する予備的訴因の如きが同一公訴事実の範疇に属すると夢想だにされるならばこれに対しても均しく防禦方法を尽したであろう。
ところがこれこそ文字通り夢想だにしなかつたところであり、検察官すらも考え及ばなかつたところであろう。かくて本件が昭和三〇年九月二〇日詐欺罪として膨大な内容を盛上げて起訴をうけて以来昭和三九年一一月四日まで審理を継続すること当に九年二ヶ月公判回数第五三回の期日まで詐欺事件として審理されてきたのである。ところが検察官は九年二ヶ月に亘つて審理を重ねたが本起訴の訴因たる詐欺罪についてこれを証明すること能わず公訴を取消すか無罪の判決をうけるか否かの立場になつたので窮余の一策として同年一一月二六日第五四回公判期日において突如として予備的訴因の申立をしたのであつた。
検察官、弁護人共に九年二ヶ月間夢想だにしなかつた予備的訴因であるから、万一にも予備的訴因の追加がなされる可能性があるとか公訴事実の同一性の範囲内にあるとか、考えてみることもなかつたのである。それ故に九年二ヶ月の審理の過程において万一予備的訴因の追加がなされると考えるならば……
即ち公訴事実の同一性があると考えるならば……
被告人も弁護人も或は書証につき同意しないものあり、或は証人に対する反対訊問においても意を用いたる箇所多々ありと信ずるのである。ところが審理の平面を異にする詐欺の訴因の審理であるから之と全く無関係な予備的訴因については何等考慮することなしに書証についても或は同意したるものあり、証人の反対尋問についても之を尽さないものがあつたのは当然であり、斯様にして九年二ヶ月の審理を通じて訴訟的実態形成は完全になされてしまつたのである。
しかも前記の如く予備的訴因の追加が為されたからたまらない、被告人の防禦権行使の仕様がなくなつたのである。
刑事訴訟法第三二一条は正に本件の如き不都合を避けるために訴因変更を公訴事実の同一性の範囲内に限定したというべきだろう。
原審は公訴事実の同一性の問題を前記の如く極めて曲解したことを不都合とするものである。もつと公訴事実同一性の法意を深く考究し以て被告人の基本的人権の擁護に欠くることなき解釈を求めたいものである。
つまり第二審判決は刑事訴訟法第三一二条に定める手続によらずして被告人に刑罰を科したことになり憲法第三一条に違反するのであるから此点においても亦第二審判決は破毀されなければならない。
三、第二審判決は控訴趣意第一点(4)対する判断として
「元来予備的訴因の追加等訴因の変更については刑訴上時期的制約はないのであるから本件の如く起訴から結審まで長期間を要し予備的訴因の追加が結審の公判において初めて行われたものであつてもそのことの故に右訴因の追加が不適法であるとはいえない。もつとも刑訴第三一二条の法意が被告人に対するいわゆる不意打を避け防禦の機会を奪うことのないようにとの配慮に出ていることは所論のとおりであるけれども予備的訴因の追加が請求された以上被告人及び弁護人は不知の間に本位的訴因と異なる予備的訴因について審判される恐れはないわけであるから本件の予備的訴因の追加が被告人にとつて不意打であるということはありえない、所論は訴因変更の制度を誤解したものと言わざるを得ない。なお右予備的訴因の追加に対しては被告人側としては反証の取調、あるいはその準備のため公判の続行を求め進んでは必要な期間公判手続の休止を求めることもできるのであるが原審第五五回公判調書によれば被告人及び弁護人等はこのような方途を取らずまたこれが妨げられた形跡も認められないから右予備的訴因の追加により被告人の防禦の機会が奪われたと云うこともできない。」
というのである。しかしこの第二審判決こそ訴因変更の制度を誤解したものと信ずる。
前記三、において弁護人が論述したところと累説を避けたいので茲に之を引用する。
要するに第五四回の公判期日では九ヶ月の審理を通じて訴訟的実体形成が完全になされてしまつたあとであるから第二審判決のいうように第五四回の公判で反証の取調あるいはその準備のため公判の続行、公判の休止等を請求してもそれは実質的に無益なことでありすでに形成された訴訟的実体は最早ゆるがぬ段階に到つていることを看取すべきである。
斯くの如くみれば第二審のいわゆる防禦の機会なるものは単なる遁辞にすぎず形式的にも実質的にも防禦の機会を与えたものでないことが判るであろう。
刑事訴訟法第三一二条の法意は第二審判決のいうような単なる防禦権のみでなく真に実質的防禦権保証のための制約をなしたものと解するのである。
それ故に第二審判決は刑事訴訟法第三一二条一項の被告人防禦権を十全ならしめんとする法律の定める手続によらないで被告人に刑罰を科したことになるから此点においても原判決は破棄されねばならない。
四、予備的訴因について審理不尽の違法があると信ずる。
本件の経過についてみるに予備的訴因については全く審理された形跡が認められない。即ち「寄附募集」か「喜捨」かという重要な事実認定及法律解釈の問題について審理不尽といわんよりむしろ審理をなさずして軽卒にも喜捨に非ずと片附けている。
これは絶対許されない違法であり此点も亦憲法第三一条の違反であつて破棄されねばならないと信ずる。
第二点 原判決は事実を誤認した判決であり之を破棄せねば著るしく正義に反するものと信じます。
即ち第二審判決は控訴趣意書第二点(事実誤認の主張)に対する判断として
「右各条例が規制する「寄附募集」とは名称の如何を問わず義務がないのに一定の目的のために対価を得ないで多数人に対し金銭物品その他財産上の出捐を促す行為でありこれに対し「所謂」喜捨とは原則として特定の目的を指図しない出捐者の自発的納金と解すべきである、原判決挙示の証拠及原審証人上野伊之吉、同小島房枝、同渡辺すずえの供述記載、被告人の検察官調書を綜合すると本件においては被告人の指示にもとずきその外交員等が原判示の人々に「盆の法要を営むので御志をいたゞきたい」旨述べて原判示の金銭の交付を受けた事実が認められるのであつて右行為は正に前記の「寄附募集」に当り「喜捨」ではないから原判決には所論のような事実の誤認はなく論旨は採用できない」
と判示している。
しかしこの事実認定は「寄附募集」なる概念と「喜捨」なる概念を同一平面において観察しておる誤謬がある。いわゆる「寄附募集」なる概念は世俗的概念であり「喜捨」のそれは宗教的概念であつて同一平面において観察し理解することを得ない性質のものである。
第二審判決の解釈は国語的解釈をなしたに過ぎず宗教的意義の「喜捨」の何たるかを体得していないものというべきである。
抑々被告人は宗教法人行善寺の事業の内容をなす成山事業社が宗教法人法第一条に所謂宗教団体が礼拝の施設その他の財産を所有し之を維持運用しその他その目的達成のため業務及事業を運営することに資するための行為として日蓮宗宗制第二九号社会教化事業規定第一条に所謂本宗の寺院及教会は社会教化事業を行わなければならないとの宗教法人法の委任に基き特別法として立法せられている趣旨に基き日蓮宗行善寺住職である被告人が前記日蓮宗宗制によつて義務づけられている事業の一環として
(一)、孤児院建設 (二)、失業救済事業 (三)、仏教思想の普及 (四)、社会事業等をなすものであつて之がための出版物を発行して之を頒布し浄財の喜捨を求めたのが本件予備的訴因の事実関係の実体である。
之即ち宗教法人法第一条に「この法律は宗教団体が礼拝の施設その他の財産を所有しこれを維持運用しその他その目的達成のための業務及事業を運営することに資するため宗教団体に法律上の能力を与えることを目的として憲法で保障された信教の自由はすべて国政において尊重されなければならない。
従つてこの法律の如何なる規定も個人、集団又は団体がその保障された自由に基いて教義をひろめ儀式を行いその他宗教上の行為を行うことを制限するものと解釈してはならない、という法律の保障の下に喜捨を求めた行為であり宗教法人法第八五条に、この法律のいかなる規定も文部大臣、都道府県知事及裁判所に対し宗教団体における信仰、規律、慣習等の宗教上の事項についていかなる形においても調停し、若くは干渉する権限を与え又は宗教上の役職員の任免その他の進退を勧告し誘導し若しくはこれに干渉する権限を与えるものと解釈してはならないという法律上の保護の下に存立するものである。
従つて若し被告人のなした行為が条例違反等の行為であつた場合まづ宗教法人法第七一条により宗教上の事項については宗教法人審議会の議に附し被告人の行為を詮議して司直の発動を要するときは之を促すの挙に出て、いる筈であるのに、被告人は審議会において審議をうけたる事実もなく斯くとも検察官において左様な主張も立証もない本件においては、予備的訴因の行為は「寄附募金」行為でなく「喜捨」であつたことを肯認できると信ずる。
あくまでも被告人の行為はすでに証拠調を至たる出雲大社の喜捨、伊勢皇大神宮の喜捨、成田山の喜捨とその本質を一にしておるのであるから条例による拘束を全くうけない性質の純然たる宗教上の行為に該当するものである。
然るに第二審判決がこの宗教上の観点に意を注ぐことなくして本件は寄附募集行為であると独断したのは明らかに重大な事実の誤認であり、この誤認は判決に影響する明らかなものである。
第三点 原判決は刑事訴訟法第二五〇条第五号の規定に違反してなされた判決でありこの違反は判決に影響すること明らかであるから破棄されねばならない。
即ち第二審判決は控訴趣意第三点に対する判断として
「本件記録によれば本件は最初詐欺罪として昭和三〇年九月二〇日起訴されたが昭和三九年一一月二六日の原審第五四回公判において前記各条例違反の罪として予備的訴因が追加され原審は本位的訴因を退け右予備的訴因について審判したことが明らかである。所論は右予備的訴因である前記条例違反の罪について公訴時効の完成の有無は右予備的訴因の追加の時を基準とすべきであると主張するもののようであるが、訴因の変更によつては公訴事実の同一性を害することのない本件にあつては最初の起訴の時、即ち本位的訴因である詐欺罪についての起訴の行われた昭和三〇年九月三〇日を以て基準とすべきでありそれによれば本件予備的訴因についても公訴時効は完成していないから原判決は所論の違法はなく論旨は採用できない。」
と論及しているのである。
ところがこれは前述した如く原判決が主位的訴因と予備的訴因とが公訴事実において同一であると誤解したことに出発したものでありその両訴因の公訴事実は明らかに別異なのであるから予備的訴因については、之を追加することが違法なと同様に公訴時効完成後であるという理由によつても本件公訴は維持できるものではないのである。
本件は単に罰金五、〇〇〇円に処せられるかどうかという些細な問題にあらず実に宗教活動の本義究明に関する重大なる事件であり、本件の帰趨如何によつて被告人の将来の宗教活動が左右されるものであり更に広くは日本の宗教活動全体の消長に影響する重大事件といつて過言でないのであつて最終審たる御庁において特に審重なる御審理を賜わり、何卒原判決を破棄して被告人を救済相成度上告に及んだ次第である。 以上